- 建築年代
- 明治29年(1896)から明治35年(1902)にかけて
- 建築用途
- 酒造施設5棟(米蔵、麹室、仕込蔵(醪蔵)、貯蔵蔵、文庫蔵)近代産業遺産
- 建築様式
- 漆喰塗籠蔵、大谷石の石蔵、貯蔵蔵のみ銚子特有の黒生瓦が使用
- 所在地
- 千葉県銚子市田中町7-1
- 歴史・由来
- 弘化元年(1844)の石上新藤が初代とされ酒造業と穀物業を営んだ。一般的に酒蔵は土壁が多い、石上酒造は珍しい大谷石の石蔵。
- 大谷石は重い(1本80kg)ので、蒸気機関車の鉄道が完成するまでは、宇都宮から地方へは大量輸送できなかった。明治18年(1885)に宇都宮・上野間が開通した。明治30年(1897)に銚子駅が開業したので、明治29年から建築された石上酒造には大谷石も入荷できたであろうと思われる。
- 大谷石は第2次大戦後機械が導入されるまで、手作業で掘り出されていた。ノミ・ハンマー・ツルハシでたたいて掘り出すので、たいへんな重労働であった。一人で1日に12本掘りだすのがやっとで、1本掘り出すのにツルハシを3600回振るったという。それで当時の値段は今の1365円であった。
- 写真の石の表面を見てほしい。ツルハシを振るった跡が彫刻のように残っている。機械掘りになるまでの人々の苦労の後を見ることも登録文化財の見どころである。