- 登録は3件
- 主屋(おもや) 東屋(あずまや) 石蔵 3棟とも建築年代の記録がない
- 建物の造りは、写真の説明版に書かれているので、省略 この主屋は鉄板で補強しているので、関東大震災(大正12年1923)以降の建築として、3棟とも、大正末期から昭和初期と推定されている
- 日本建築の建築年代の推定は、1石場建かどうか 2茅葺か瓦葺か 3屋根の高さ 4玄関に小屋根があるかどうか 5平屋か2階建か 6式台の有無 7間取り 8数寄屋風(すきやふう)か東風(あずまふう) などから判定できます。
- 現代は、コンクリート基礎と土台を緊結する必要がありますが、それ以前は石の上に柱が立っているいるだけでした 廣瀬家の写真に床下の石場建の柱の様子を入れてあります 囲炉裏も石の上に置いてあります
- 江戸時代の農家は茅葺でしたが、明治中期以降に瓦に変えた建物は屋根が高いのが特徴です 茅葺は、雨水を早く流すために急傾斜で高くなります 安藤家、伊東家、廣瀬家は屋根が高いです
- それ以外の解説は、古民家のところに記載してあります。この別邸の特徴は、屋根が低く瓦葺である 式台玄関がない 玄関に小屋根が付いている 数寄屋風の細い部材で繊細感を出している 間取りが新しい 以上のことから年代推定ができます
- ここでの解説はこの程度で終了します 瓦についての解説は松戸旧斎藤家で書かれています
- 写真提供者
- 大日向 正剛 様
- ところで、市役所から来た固定資産関係の書類に、我が家の主屋と板蔵の取得年月日が明治11年(1878)と書かれていました。そこで、市役所に問い合わせたところ、昭和40年代に、各戸を回って建物の取得年代を聞いてきたそうです。それにしても、明治11年から90年以上たっているのに、正確なことがわかるのかと思い、板蔵を調べたら棟札に明治24年と明記してありました。やはり、正確な建築記録がないと人の記憶だけでは長い年月が経つとわからなくなるのです。廣瀬家のお話でした。