- 建築年代
- 丸屋・丸屋離れ 2棟とも明治30年(1897年)木下街道の鎌ケ谷宿に建つ、もと旅籠の建物
- 建築様式
- 丸屋(木造二階建 寄棟造 桟瓦葺) 離れ(木造平屋 寄棟造 桟瓦葺) 写真では、2階の垂木の下が重厚な出桁造り(だしけたづくり)になっている。1階の下屋を載せている一本の長大な丸太も見ごたえ十分。外壁は板を横に張っているだけで簓子(ささらこ)下見板張りになっていないところが民家とは異なっている。
- 歴史・由来
- 離れには明治31年(1898)の皇太子(後の大正天皇)が滞在した
- 利根川筋の木下(きおろし)河岸と江戸川筋の行徳河岸とを結ぶ陸路の鎌ヶ谷宿 京成松戸線「鎌ヶ谷大仏駅」が近い
- 木下街道は利根川から木材、銚子から鮮魚を運ぶ交通の大動脈、成田への参詣道にもなった。鎌ケ谷宿には寛政12年(1800年)には7軒の旅籠が、また明治7年(1874年)には 鹿島屋 丸屋 銚子屋 船橋屋 という4軒の旅籠が存在した。
- 明治時代になり、宿駅制度が廃止され、また鉄道や汽船といった近代的交通手段が発達してくると、鎌ケ谷の宿場町としての機能も次第に薄れていき、旅籠の数も減少していきました。
- 旅籠の部屋はどうなっていたのか、大正天皇が泊った部屋はどれか、調理道具や配膳道具は残っているのか、便所はどうなっていたのか、ガラスはいつの時代のものか、小屋組みは見えるのか、現物が残っていると興味は尽きません。