基本情報
- 主屋は文政9年(1826)の建築で、寄棟(よせむね)造り茅葺(かやぶき)〔金属板仮葺(きんぞくいたかりぶき)〕。米蔵は嘉永元年(1848)の建築で、土蔵(土蔵)造り二階建の切妻(きりつま)造り桟瓦葺(さんがわらぶき)。門は昭和前期の建築で、切妻造り桟瓦葺の一間(いっけん)薬医門(やくいもん) 敷地は木下の隣の我孫子市布佐から松戸に続く鮮魚街道(なまみち)に面している 主屋の室内は房総民家の特長を備えている
- 江戸時代そのままの景色が、まだ残っているとは驚いた。写真に写る全体が澁谷家の敷地である。建物は東に面している。建物の後ろは西であるから、この屋敷林は西日を防ぐのと防風林でもあったのだろうか。主屋の前、写真の左手に米蔵の屋根が見えている。もっとたくさんの蔵があったことだろう。薬医門を出ると左右に畑が広がっている。野菜や四季の花が咲き、それらが家族の食卓に上がっていたことであろう。門と主屋の間では、鶏や犬が走り回っていたことであろう。江戸時代の名主の生活が動画として浮かんでくるような写真である、
- 主屋は、三面を出桁造とし正面南端に式台玄関を付している。市の公開情報から式台玄関の写真も入れておきます。 主屋は茅葺がそのまま残っているため、茅を保護するため金属の板で覆っているので輝いている。平屋なのに大へんな高さがある。
- 写真提供者
- 廣瀬省蔵 様(最初の全体写真のみ)
- そのほかの写真は、公開されている市の澁谷家住宅保存活用計画より借用しました