- 建築年代
- 房州石の石蔵(明治35年1902)主屋と稲荷社(昭和28年1953)・井戸(昭和前期)・石垣(大正前期)
- 建築用途
- 住宅・石蔵(現在は金谷美術館の施設)「石と芸術のまち金谷」の活動拠点
- 建築様式
- 房州石の最上級桜目の石蔵・主屋は平屋 基礎や風呂場などに地元産房州石を使用
- 歴史・由来
- 鈴木家は、鋸山の房州石切り出しを中心とした石材業者の家 良質の房州石が多用されている
- 房州石
- 富津市金谷の鋸山では、昭和60年まで石の切り出しが行なわれていた。鉄道やトラックのない時代に、船で対岸まで運べる房州石は建築資材として重宝された。
- かつては金谷の総人口80%が石材業に従事していた。加工しやすく、耐火性に優れているので、建築用石材として、日本の近代化に貢献してきた。横浜港や、靖国神社、早稲田大学など様々な場所で利用されている。セメントの需要が高まったことから、鋸山の石材業は徐々に衰退していったが、今でも、その当時の採石の跡を至る所で見ることができる。
- 「 横浜開港と房州石 」でググルと横浜と房州石との関係がAIで表示される。横浜港の房州石は関東大震災で崩壊したが、その時代にはすでにセメントとコンクリートの時代になっていた。