- 建築年代
- 主屋(江戸末期)板蔵(1891年棟札あり)倉庫(1909年)井戸上屋(1935年)
- 大工
- 板蔵 邑山岩吉
- 建築様式
- 主屋は木造平屋で、内部は房総民家の特徴を残している。囲炉裏が残っている。屋根が高い。茅葺の主屋を、移築した明治期に桟瓦に変えたものと思われる。
- 写真の倉庫は角寄せ蔵風の内部に特徴がある。外側は簓子(ささらこ)下見板張り 防虫防腐のため黒く焼いてから取り付けたと思われる 写真の井戸上屋には吊棚が付いている。
- 歴史・由来
- 主屋を建てた人は中山法華経寺の山門を建てた宮大工の名人
- 江戸時代は農業をしていたが、明治初期からは房総往還に面する現在地に移り雑穀問屋を開業(近代産業遺産 主屋を移築)、前面通りは明治時代は商店街であったが、最後の商店は平成に入って閉店した。
- 青木昆陽が幕張に最初に植えたサツマイモは隣の津田沼・千葉にも広がり、江戸後期には特産地になり江戸へ船で出荷した(当時当家のすぐ裏が浜辺であった)。幕張には昆陽神社と最初の植栽地の碑がある。廣瀬家の倉庫は米蔵とは全く異なる四面全部に通気窓のあるサツマイモ用の倉庫。2棟あった。米蔵は密閉する。サツマイモ用に作られた倉庫は地元にはこれ以外残っていないと思われる。
- 明治から大正時代の当主廣瀨秋之助は千葉郡会議員・津田沼町名誉助役・漁業組合長などを兼務する名士であった。
- 幕張・津田沼・千葉が江戸後期から明治大正まで、サツマイモの特産地で、サツマイモから作るでんぷんで儲けた、でんぷん御殿がたくさんあったという話を知る人は今ではほとんどいない。建物も残っていない。昭和になって東南アジアから安いでんぷんが輸入されると急速に衰えた。